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令制国 |
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備前国(びぜんのくに)→讃岐国(さぬきのくに) |
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江戸期 |
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馬越村(うまごえむら)小海村の枝村 |
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宝永5年 |
1708年 |
讃岐国に所属変更 |
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明治11年12月16日 |
1878年 |
郡区町村編制法施行により行政区画としての小豆郡が発足 |
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明治13年 |
1880年 |
小海村の枝村から独立 |
村制施行 |
明治23年2月15日 |
1890年 |
小豆郡北浦村の一部(しょうずぐんきたうらそん) |
新設合併 |
昭和30年4月1日 |
1955年 |
小豆郡土庄町の一部(しょうずぐんとのしょうちょう)第二次 |
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地勢 |
小豆島北西部、屋形崎村の西で北は海に面する。小海郷に属す。地名の由来は、馬を飼っていたところから馬飼となり,それが転化したという説がある。「小豆郡誌」によれば島四国巡拝の旅人がこの村で石炭鉱を発見、九州や備前・阿波方面から採炭者が集まり、小規模の採掘をした。天保13年(1842)当地の富農岡上銀右衛門が山を買入れて採炭を始めたが明治28年(1895)廃業した。大聖寺(真言宗善通寺派)は本尊不動明王、もと金蔵坊と称し、滝宮天王社の別当寺であった。 |
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領主変遷 |
慶長5年~天保9年(1600~1838) |
幕府領(大阪船奉行・同町奉行・伏見奉行・倉敷代官などの支配) |
宝永5年~正徳2年(1708~1712) |
讃岐高松藩預 |
享保6年~元文4年(1721~1739) |
讃岐高松藩預 |
天保9年~(1838~) |
美作津山藩領(越前松平家10万石) |
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旧高旧領 |
美作津山藩領(越前松平家10万石)小海村の⽀村|宝暦明細帳では120石余 |
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写真 |
① |
② |
③ |
④ |
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