おさかなの諸国漫遊記
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小豆郡 しょうずぐん
小豆郡土庄町・小豆島町(内海町・池田町)
地勢
小豆島は瀬戸内海第二の大きさの島で、西方の豊島をはじめとする周辺小島を含めた島嶼部分で小豆郡を構成。
中世
平安時代の庄園は小豆島庄、肥土庄、池田庄、草加部庄があった。豊島には近衛家家浦庄があった。南北朝の動乱期には、南朝に応じて挙兵した備前国住人佐々木信胤が占拠したが、足利一門の淡路・阿波・讃岐・備前四ヵ国の軍勢を率いて来攻し、信胤は降伏しその麾下に入った。以後、讃岐守護細川氏の支配となった。もともと行政的には備前国に属していたが、細川家の支配により実質的には讃岐国に属していた。
近世
天正5年(1581)羽柴秀吉の家臣小西隆佐が小豆島の代官となり、小西行長へ引き継がれる。天正16年に片桐且元が代官となる。大阪の陣後は幕府領となるが、宝永5年から正徳3年(1708−1713)、享保6年から元文4年(1721−1739)は高松藩預地。宝永5年(1708)からは備前国から讃岐国に所属変更。天保元年から7年(1830−1836)まで草加部郷・福田郷、大部郷は伊予松山藩預地であった。また天保9年(1838)以降、西部六郷(土庄・淵崎・上庄・肥土山・小海・池田)は美作津山藩領となり明治に至った。
産業
代表的産業に製塩がある。沿岸各地の弥生時代遺跡から製塩用の師楽式土器が多量に出土、庄園の貢納物も主として塩が主体であった。近世には天正年間に播州赤穂(現兵庫県赤穂市)の塩浜師が多数移住したことによって発展。江戸後期、十州塩田の盛況によって生産過剰となり島塩も衰退に向かった。細川氏領以来の加子浦であり、廻船業も早くから発達した。池田村に発生した素麺業も江戸中期以降隆盛をきわめ中国・北九州方面へ移出された。また、内海地区に文化―文政(1804−30)頃から急速に発展した醤油業も主として阪神地方に移出された。元和六年から数年間、大坂城修築のため島内各地で西国諸大名によって石が切出された。岩谷村の丁場は筑前福岡藩主黒田家、小海村の丁場は豊前小倉藩主細川家、土庄村の丁場は肥後熊本藩主加藤家などで、現地にはその残石もあり、大坂城石垣と同じ刻印を刻んだものも多い。豊島の凝灰角礫岩は「豊島石」とよばれ、各地にこの石を使用した中世以来の石造物が残っている。
写真
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A
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■小豆郡土庄町
土庄
小海
見目
屋形崎
馬越
伊喜末
小江
長浜
滝宮
家浦
唐櫃
甲生
肥土山
重要有形民俗文化財
笠ヶ滝
黒岩
小馬越
淵崎
上庄
特別天然記念物
大部
小部
■小豆郡小豆島町(小豆郡内海町)
草加部村
名勝
安田村
木庄村
橘村
岩谷村
史跡
当浜村
苗羽村
古江村
堀越村
田浦村
坂手村
西村
福田村
吉田村
■小豆郡小豆島町(小豆郡池田町)
池田村
重要文化財・重要有形民俗文化財
蒲生村
中山村
重要有形民俗文化財
二面村
天然記念物
室生村
吉野村
神浦村
天然記念物
蒲野村
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