香川県高松市牟礼町牟礼 |
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■地勢 |
讃岐国三木郡所属。三木郡の西端、庵治半島の基部に位置し、西は檀ノ浦うらの狭い入江を挟んで屋島に対する。北に五剣山(八栗山、366.2m)がそびえる。三の坪などの条里地名が残っており、六萬寺の旧跡といわれる鐘撞堂跡から平安時代の瓦が出土している。平家の城門があったという惣門、那須与一が馬を立てて扇の的を射たという駒立石、義経の家臣佐藤継信戦死の地という射落畠、義経が平家の陣を眺めて戦略をたてたという源氏ヶ峰など、源平合戦に結び付けた地名や名所・旧跡が多い。南北朝期から室町時代には当地を本貫としたとみられる牟礼氏がいた。天文年間(1532―55)田井城に中村氏宗が、天正(1573―92)頃牟礼城に牟礼光茂、八栗城に中村恒頼が拠ったと。高松城下から引田村(旧大川郡引田町)に至る東讃浜街道(志度街道)が村の南部を通り、また牟礼浜沿いに庵治村に至る「やくり道」も通じていた。丸亀市塩飽町にあった旧丸亀藩御用商人入江氏の住宅(県指定文化財)が久通に移築されている。 |
■沿革 |
①1890年|明治23年2月15日|三木郡牟礼村(みきぐんむれ-) |
②1898年|明治31年2月11日|木田郡牟礼村(きたぐんむれ-) |
③1962年|昭和37年1月1日|木田郡牟礼町(きたぐんむれちょう) |
④2006年|平成18年1月10日|高松市(たかまつし) |
■明治初年時点での支配 |
讃岐高松藩領(⽔⼾松平家12万石)1324石余 |