香川県さぬき市志度 |
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■地勢 |
讃岐国寒川郡所属。寒川郡の北西端、西側の庵治半島から、東側小串岬にかけて深く入込んだ志度湾の最奥部に位置する。南西を雲附山(239.4m)、南東を五瀬山(242.8m)に限られた平地に集落が発達し、東は天野峠で鴨部下庄村に接する。平安初期に志度寺が創建され、また式内社多和神社に比定する説もある多和神社が鎮座する。室町時代に細川氏の保護を受けて志度寺は興隆し、門前町が形成され、海上輸送の要地でもあった。戦国時代には安富盛長の家臣多田和泉が志度城に拠った。城跡は旧志度町役場の地で城の地名が残る。半農半漁の村で、志度浦ともよばれた。高松城下から海沿いに三木郡原郷(旧木田郡牟礼町)を経て志度寺に至り、天野峠を越えて鴨部下庄村に出る東下道(志度街道)、志度寺から南の造田を経て長尾(旧長尾町)で東上道(長尾街道)に合する道、また北の長浜から小田村に至る道があった。 |
■沿革 |
①1890年|明治23年2⽉15⽇|寒川郡志度村(さんがわぐんしど−) |
②1898年|明治31年2⽉11⽇|寒川郡志度町(さんがわぐんしどちょう) |
③1899年|明治32年4⽉1⽇|大川郡志度町(おおかわぐんしどちょう)第一次 |
④1955年|昭和30年1⽉1⽇|大川郡志度町(おおかわぐんしどちょう)第二次 |
⑤2002年|平成14年4⽉1⽇|さぬき市(さぬきし) |
■明治初年時点での支配 |
讃岐高松藩領(水戸松平家12万石)1587石余 |